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2008シリーズ

ロードレース


大会名
2008年度アジア国別対抗ロードレース第4戦(最終戦)インドネシア大会
開催日
2008年11月1日、2日
会場
インドネシア・南カリマンタン島バンジャーマシン市 バリパットサーキット

2008年度アジア国別対抗ロードレース最終戦は、11月1〜2日の両日に亘り、インドネシア・南カリマンタン島バンジャーマシン市に所在するバリパットサーキットにて開催された。
昨年も開催された会場であり、インドネシアから飛行機で1時間、そして車に乗り継いでパトカーの先導で約1時間30分で宿舎。そこからまた毎朝パトカーの先導で1時間30分かかるところに所在する。
サーキットの全長は1.8Km。使用車両はヤマハジュピターMX(水冷135cc4ストローク)。
前回までの大会により、総合ポイントで日本は1点差で2位につけており、1位の可能性も充分あるものの、1位インドネシアに勝つためには、とにかく2レースともに確実にインドネシアの上にいかなければならない中での参加となった。
今回の出場国は、エントリー11カ国であったが3カ国が欠場し、最終的には8カ国16名の選手による戦いとなった。

レース前日、ホテル到着後すぐに記者会見が行われ、選手紹介、記者からの質疑応答に入った。
地元インドネシアからも15歳の代表ライダーが出場することもあり、記者会見後も丸山選手(14歳)への取材が続いた。その後、夕食までフリーとなったため、旅の疲れを癒すため、市内のショッピングセンターに行った。そこで、日本代表選手の二人によるゲームでのバトルが展開された。しかし、設定がうまくいかず、バラバラのコースを設定してしまった。

この熱い走りを本番に期待した。
その後、主催者と打ち合わせを行った際に、使用する車両は全くの新車であり、レースのためにCDI、マフラーを変更したことが伝えられた。CDIを変更したため、ライダーの判断によりメインジェットの変更、スプロケットの変更を認め、また、タイヤはドライ2セット、ウェット1セットが準備されているとのことであった。よりイコールコンディションを目指すのであれば、全くのノーマルに戻すべきと申し出たが、すでに全車両変更されており、また、スポンサーとの関連もあり不可能であった。ライダーのセッティング能力により性能差が出てしまうことは一目瞭然であるものの、時すでに遅し。
11月1日 気温38度
午前8時にホテルを出発、会場には9時30分に到着した。この時点ですでに気温は30度以上あった。
10時15分よりライダーズブリーフィングが開催され、諸注意事項及び午後の公式予選開始までにメインジェット、スプロケットの交換を行わなければならないことが通達された。
また、車両の抽選が行われた。
中木選手が16番、丸山選手が34番の車両を引き当て、早速整備にかかった。
11時15分、第1回フリープラクティス(30分)が開始された。皆、マシンの調整を図るためか比較的スローな展開で進んだ。他の選手が1分27秒、28秒付近で走行しているそんな中、15周目に中木が1分24秒899を出した。タイのチャノンも1分24秒772を出した。丸山は1分27秒871。この時点でタイのチャノン1位、中木2位、丸山は4位であった。
午後1時より第2回フリープラクティス(30分)が開始された。セットアップが完了したインドネシアの本領発揮である。流し気味に走行していたが、他のライダーが22秒台に入れられずにあがいているところになんと1分20秒830をたたきだした。中木は3周目に1分23秒680をだすものの、その後24秒、25秒、となり、15周目に1分23秒461を出した。丸山も今ひとつタイムが伸びず、5周目に1分27秒186を出し、最終的には13週目にようやく27秒の壁を破り1分26秒486となった。2回目のフリープラクティスは、1位インドネシア・ユディスティラ(15歳)、2位タイのチャノン、3位に中木、そして丸山は8位となった。
午後2時30分からの公式予選までにスプロケット、メインジェットについての結論を出さなければならず、ライダーと相談の結果、特にメインジェットの変更は行わず、リヤサスペンション調整、スプロケット変更を行うのみとした。この変更が丸山を悩ませる結果となった。
午後2時30分、公式予選が開始された。
気温は、38度。路面温度は・・・とにかく暑い。
皆、やる気満々で飛び出していくが、あまりの暑さにタイムをボードで出す側が参ってしまう。あまりの暑さにほとんどのチーム関係者が日陰に入っている。
2周目に中木が24秒台に入れるが、インドネシアは22秒台前半。もう一人のインドネシアライダーも4周目に1分21秒885を出した。インドネシアのユディスティラは、5周目に1分20秒488を出し、全9周で予選を終了した。もう一人のインドネシアライダーのヴァリザも15周で終了。コースを知り尽くしたセットアップ力の差か、暑さのせいかマカオ、台湾もそうそうに10周で終えていた。そんな中、中木は20周、丸山は21周を走行し、更なるタイムアップを狙っていた。14周目に中木が21秒899を出し、丸山は最終ラップとなった21周目に24秒454をたたき出した。しかし、手元のタイムとは1秒ほどのずれがあり、それは他の国も感じていたようだ。
公式予選は、酷暑の中終了し、以下の順位が確定し、明日のグリッド表が発表された。
1位
ユディスティラ(インドネシア)
9位
ツェン(中国)
2位
ヴァリザ(インドネシア)
10位
渡辺(フィリピン)
3位
中木(日本)
11位
アンソニー(フィリピン)
4位
チャノン(タイ)
12位
ウェイ(台湾)
5位
丸山(日本)
13位
セルジオ(マカオ)
6位
タヌポン(タイ)
14位
サミュエル(スリランカ)
7位
ジアン(中国)
15位
カルデラ(スリランカ)
8位
ウェン(マカオ)
16位
チー(台湾)
終了後、丸山がスプロケットが合わず、可能ならば元に戻したいと言ってきたが、規則によりそれは不可能であることを伝えた。その時の不安そうな顔が・・・・
真剣に悩んでいる。
これも経験の一つ。
悩む中木
明日は雨が降る可能性もあることから、主催者がウェットタイヤへの変更は速やかに決断し、可能であれば本日中に変更することと通達してきたが、日本及び各国ともに明日決断することで主催者に連絡した。同じような時間帯に全車両がウェットへの交換を要請した場合、時間的に無理が生じることから、明日のウォームアップ終了時点で変更の可否を決定しなければ、タイヤ交換は認めないとの通達が再度出された。
11月2日決勝当日
続々と観客が集まってくる。徐々にバイクパーキングの列が伸びていき、一時期の鈴鹿8耐のようになってきた。昨年と違うところは、レストランが改修され、イスラム教のモスクに変更されていたことぐらいで、観客エリアはまだ整備が行き届いていない部分もあるが、コースの回りにはスクーターでも1周できる周回路があるところが素晴らしい。警察官も巡回しており、危険性は感じないものの、何万という観客がこちらを見ているのには正直は驚いた。
10時15分
20分間のウォームアップがスタートされた。
皆、力を抜いて走行をしていたが、中木、丸山は最後の練習とあって真剣に周回を重ねた。インドネシアのヴァリザ、タイのタヌポン、日本の中木が22秒台で走行し、丸山が23秒285
で走行を終えた。
11時30分、開会式に、急遽ライダー全員が整列することとなり、あわてて開会式に参加した。


インドネシアライダーと記念撮影
左がユディスティラ中央にヴァリザ
午後12時30分 第1レース(12周)がスタートした。
スタート時点で雲が空を覆い始め、雨の心配が出てきた。
 
中木
丸山
第1レーススタート!  
中木が好スタートを切るも、丸山がシフトミスで最後尾からのスタートとなった。
2コーナーまでにインドネシアのユディスティラがトップ集団から抜け出る。タイのチャノン、中木、インドネシアのヴァリザが集団を形成した。丸山もものすごい勢いで追い上げ、23秒台で周回を重ね、5番手に浮上した。中木は22秒台前半で周回を重ねるが、ヴァリサ、チャノンが21秒台で走行を重ね、徐々に離された。単独4位で中木、その後ろを単独5位の丸山が危なげない走りで順調に周回を重ねた。気にしていた雨がポツリ、ポツリと路面に吸収されていく。雨に弱いと思っていたインドネシアライダーだが、全く他を寄せ付けずそのままチェッカーを受けた。
2位ヴァリサと、3位チャノンは最後まで争い、チェッカー直前にヴァリサがストレート上で急激な蛇行ラインを取り、チャノンと接触しそうになった。一部危険走行ということで失格とすべきとの声もあったが、競技監督の判断により、ライダー全員を集め、全員に注意を促すとともにヴァリサには厳重注意処分とした。
1位、2位インドネシア、3位タイ、そして4位中木、5位丸山。
この時点で日本はインドネシアとのポイント差が4ポイントに拡大した。
レース後、雷とともに土砂降り状態となった。タイヤに関しては、土砂降り状態の場合のみウェットタイヤが有効であり、通常の雨の場合、スタンダードタイヤの方が断然有利であるとの話を聞いたことから、日本チームとしてはタイヤ変更をしないことに決定した。
聞くと殆どのチームがタイヤ変更しないようだった。
昼休憩中、雨が一層激しくなり、SUGO大会以上の状態となった。
タイチームがあわててタイヤ交換しようと言い出したが、風向きと雲の切れ目、地元の人の話を聞いた上で、雨は収まると判断し、変更しないことを中木、丸山に伝えた。
ところが中木が「このままではタイムアップも望めないことから賭けに出る」と言ってウェットを選択。丸山は変更しないまま第2レースに臨むこととした。
午後3時 第2レーススタート
雨が小降りに変わり、1周目を終えた時点で雨がやんだ。コース上はウェットであるが、中木の決断は結果的に裏目に出てしまった。
今回は、いいスタートを切った日本代表丸山。路面がまだ濡れており、いたるところで転倒者が発生。気がつくと、丸山の左足がぶらぶら。やはり転倒し、左ステップとギヤシフトレバーを脱落していた。非常に危険だが、手でシフトアップ・ダウン操作をしながらの走行を続けていた。中木は、リヤタイヤのスリップに悩み、順位を上げる事が出来ない。
その間にインドネシア2名、タイのチャノンが中木に距離を開け、5位の中国・ツェンが中木に迫ってきた。後に聞いた話だが、中木も転倒していたらしい。転倒しつつもハンドルを放さず、すぐさま再スタートを切れたため、何とか上位に踏ん張る事が出来たらしい。
タイヤ選択のミスがところどころに隠れていたようだ。結局中木は4位で終了した。
丸山も14歳にして7年のレース経験を持つライダーだけに、危なげない走りと工夫を凝らした走行で、5位争いを展開した。最終ラップの最終コーナーでは、真横に着く事が出来たものの、シフトチェンジがままならず、6位に終わった。
この大会としては3位に入賞し、シリーズとしては2年連続2位という結果に終わった。
1位インドネシア、2位タイ
日本チームを支えたメカニック 3位日本
最後に、2年連続で日本代表として戦ってくれた中木亮輔選手、勉強と両立させながら全戦参加し、見事なまでに国際交流を果たした丸山隼一選手、マカオ大会に代役として出場し、日本を1位に押し上げてくれた上江州克次選手とご家族、そして珠海大会にヘルパーとして活躍した丸山美由貴さんに心より御礼申し上げます。
2009年は、日本大会は勿論、更に飛躍したシリーズ戦となると思います。また、ご協力をお願いいたします。
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>>アジア国別対抗ロードレース第3戦 中国・珠海大会のレポートはこちら


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