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開催レポート
2008シリーズ

ロードレース


出張期間
2009年11月25日〜12月1日
出張先
インドネシア・ジャカルタ・セントゥール国際カートサーキット
日本代表ライダー
上江洲克次、鈴木 圭一郎
参加国
中国(2名)、台湾(2名)、香港(2名)、インド(2名)、インドネシア(2名)、日本(2名)、マレーシア(2名)、フィリピン(2名)、シンガポール(2名)、マカオ(2名)(計10カ国:20名)

2009年度アジア国別対抗ロードレース第4戦インドネシア大会
 9月の第3戦インド大会に引き続き第4戦インドネシア大会がジャカルタ・セントゥールサーキット国際カート場で開催された。コース全長1.2Kmであり、隣接にはかつて世界選手権も開催されたセントゥールサーキットがある。
 日本チームは、上江洲選手と鈴木選手の2名をエントリーし、今大会はヤマハカップ内における1クラスとして開催された。
 予定より若干早く22時にバリに到着し、そのままホテルで一泊、翌朝、ジャカルタに飛んだ。ジャカルタ空港では、IMI(インドネシア協会)の職員の出迎えを受け、バスに乗り込み、宿泊先に移動開始。30分ほど走り、気が付くとまた空港方面に向かっていた。突如、バスの運転手に連絡が入り、他の国が1時間後に到着するので、日本チームのバスを引き返し、他の国も同乗させてとのことであった。午後2時30分、やっとホテルに向けて出発。渋滞次第で1時間〜4時間の差が出るらしい。2時間後にホテルに到着した。今回は、ヤマハカップの影響、ジャカルタ近郊の行楽地であることから一つのホテルに各国が宿泊することが出来ず、このホテルには日本チームのみ宿泊となった。
 
11月26日
 午前10時より受付が行われ、午後1時30分のライダーズブリーフィングまで自由時間となった。しかし、とても外は暑く、湿気もあり、エアコンのある部屋に大勢で時間の経過を待つこととなった。何とか昼食をすませライダーズブリーフィング会場に行くと、まだヤマハカップのマネージャーミーティングが終わっておらず、汗だくで廊下に待機。
 参加人数が多かったため、ライダーズブリーフィングから急遽チームマネジャーミーティングに変更し、ライダーを外に出して、いくらか混雑が緩和された中で、今大会の注意点が発表された。主なものとして下記があった。
@ 車両+ライダーの重量は最低145Kgでなければならない。
A スターティンググリッドには、ライダーと主催者の準備したレースクイーン、オフィシャルしか入ることが認められない。
マネージャーミーティング直後にパドック内にて車両抽選が行われた。日本は7番車(鈴木)と10番車(上江洲)となった。早速セットアップ開始。今回のサポート体制は、スプロケット、メインジェットを自由に設定することができ、1回のみオイル交換までしてくれるとのこと。また、各チームには専属メカニックが付いた。といってもはじめて乗るバイクなので、ポジション合わせのみで車検を受けた。やはり鈴木が143Kgしかなく、レース終了後を考慮して4Kgのウェイトをつまなければならなくなり、パドック裏の石、鉄の固まりをシート下になんとか入れ込んだ。上江洲は難なくクリア。
午後3時20分からのフリー走行(25分間)に望んだ。3周目に上江洲が転倒。フロント周りを大破。フロントホイールが右に向いてしまっていた。鈴木は周回を重ね16周をこなした。ベストタイムは鈴木が1分6秒541、上江洲は1分8秒559。トップはインドネシアの1分3秒881。上江洲のマシンはかなり重傷であり、フロント足回りのアッセンブリー交換すれば即完了という修理だったが、部品一つ一つをたたいて直す手法で、かなりの大掛かりな修理となった。
何故か分からないが、重量規制が撤廃された。鈴木のマシンからもウェイトを外そうかとも思ったが、チーム内で、体重の軽い鈴木の場合、逆にウェイトがあることによってトラクションが掛かるのでこのままで行こうという意見がでたため、一部外したものの、約3Kg 近いウェイトは積んだままとした。
 
11月28日
  上江洲は、昨日の転倒でのフロント周りの影響を気にしつつ、スプロケットを変更、リヤサスも何らかの計算式を使い調整していた。
10時30分より15分間のフリー走行が行われ、順調に周回していたものの、またも上江洲転倒。しかしタイムは昨日より2秒上げ1分6秒289で10番手、鈴木は1分4秒631で3番手となった。
予選は、午後3時からであるため、またも上江洲の車両修理を行い、スプロケットを変更した。予選スタート前、パドックからウェイティングエリアにマシンを移動した時、鈴木が「あっ、ガソリンが漏れてる」というので、見てみると、鈴木のマシンからタラタラとガソリンが漏れていた。至急、パドックに戻し、修理に取り掛かった。
予選時間は20分間。この時、鈴木は予選を走ることなく予選落ちということが頭をよぎった。とりあえず、上江洲のみスタートし、周回を重ね、タイムを上げる。1分6秒台から5秒台、そして1分4秒418までタイムを伸ばした。残り8分で、やっと鈴木がスタート。順調に、そしてものすごい勢いでタイムを上げていき、6周目で1分4秒291をたたき出した。予選結果は、1位インドネシア1分3秒141、2位インドネシア1分3秒350、3位フィリピン1分4秒061、4位フィリピン1分4秒207.そして5位鈴木、7位上江洲という結果となった。まずは、2台が決勝に駒を進めることが出来て一安心した。
 
11月29日決勝日
 朝、パドックを歩いていると、見慣れた顔があった。成田亮選手がそこにいた。デモンストレーションで、フィリピンから日本に1日だけ戻り、そしてインドネシアに急遽呼ばれてきたらしい。勿論、兄の成田匠選手の姿もあった。おそらく、生でトライアルを見たことがない人が多いインドネシアの人達は、驚きを隠せない。デモンストレーションのプラクティスでの走行でも喚声があがっていた。
9時40分から15分のウォームアップ走行が始まった。上江洲も鈴木も暑さを忘れて走行をしていたが、6周目、上江洲転倒。また、フロントから滑ったようだ。鈴木は11周をこなし、5周目にはインドネシアとほぼ変わらない1分3秒652を出した。
ウォームアップ直後に、開会式が行われ、各国のプラカードを女の子が持ち、整列して歩く予定だったが、日本だけ女の子がおらず、上江洲がプラカードを持ち、鈴木が日の丸を持って参加した。主は、ヤマハカップのライダーであり、記念撮影もアジア国別対抗はなかった。
午後1時、決勝第1レースが15周で行われた。先頭集団にインドネシア2台、フィリピン2台、日本2台の6台で走行。3周目、1台のフィリピンが転倒。鈴木がインドネシア2台と3台でトップ集団となり、上江洲はマレーシア、フィリピンと第2グループで走行を重ねる。
5周目、鈴木がインドネシアを交わしトップに浮上。このときのタイムは1分2秒837でトップタイムであった。このまま転倒しなければ表彰台の真ん中に上れると思っていたが、7周目、インを刺され、アウトに膨らみ転倒。残念であるが、すぐに立ち上がったので安心した。あとは上江洲の頑張りに期待するのみ。6位から順位を上げ、4位に浮上。そのまま無事チェッカーを受けた。第2レースでの巻き返しのため、鈴木のマシンを修理し、備えた。第2レースは午後3時10分。軽く昼食を済ませ、ヤマハカップのクラスのレース終了を見守った。第2レース前のヤマハカップレース時に急に雲行きが怪しくなり、ぽつぽつと落ちだした。雨は次第に強くなり、第2レース直前にものすごい勢いで空から落ちてきた。運営側からは、10分延期するというアナウンスがあり、その10分後、突然レースキャンセルと通告された。雨は小降りになってきており、いくら生放送枠に収めなければならないとはいえ、国を代表してきている各国選手は納得しておらず、各国代表から「なんでだ?」「レースできる状態じゃないか」という意見があり、代表してクレームを出しに大会本部に向かった。しかし、本部まではすでにキャンセルについてテレビ解説を始めていた。仕方なく、パドックに戻ると、突然バイクが走行を開始し始めた。上江洲、鈴木もその中にいた。走って戻ると、なんと1周だけ走行させたらしく、最初からコース上では赤旗が提示されている上での1ラップ走行だった。どういう意味か分からなかったが、ライダー達はパドックに戻され、オフィシャルは全員コースから立ち去っていた。その後も突然のレースキャンセルについて何の説明もなされなかった。
夜、ヤマハカップシリーズ表彰式にアジア国別対抗も招待され、その場でシリーズ表彰が行われた。年間表彰式であり、かなり大規模で盛大な表彰式であった。
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開催日
2009年6月18日〜6月22日
会場
中国・西安ウェイシュイガーデンサーキット
出場国
中国、台湾、香港、マカオ、インド、インドネシア、日本
日本代表ライダー
丸山隼一(15歳)、鈴木圭一郎(14歳)
 
2009年度アジア国別対抗ロードレース第1戦中国大会
開幕戦の舞台となるサーキットは、西安空港から1時間ほどのところにあり、1周2.4Kmの平坦なコースで普段は主にカートのレースに使用されている。路面の状況は日本のサーキットに比べると決して良いとは言えず、路面は全体的に滑りやすい。今回使用するマシンはハオジェスズキ125cc4ストローク。初心者向け車両である。
6月19日(金)
午前中に選手受付、車検(装具チェック)が行われ、午後イチにはライダーズブリーフィング、そして車両抽選が行われた。
車両抽選の結果、ゼッケンは、8番鈴木、16番丸山に決定した。
午後2時10分より、ワンメークの練習走行が始まり、地元ライダーのタイムを計測してみると、大体、速いライダーで1分12秒であったため、参考タイムとして、1分12秒を目指して16時40分からのアジア練習走行に望む。初めての走行であるため、タイムよりコースに慣れる事を重視し、周回を重ねる。1分16秒、15秒、14秒まで入るものの、中々13秒台に載せることが出来ないまま、この日の走行は終了した。
6月20日(土)公式予選
午前10時15分よりフリープラクティスが30分間行われた。手元のタイムでは、鈴木は、12秒台、丸山が14秒台前半で周回を重ねた。発表結果では、鈴木が1分12秒152でトップタイム、丸山は1分14秒656で7番手のタイムであった。
午後2時45分から公式予選が15分間行われた。日本チームは練習走行同様にタイムを伸ばすものの、インドネシアライダーに火がついた。1分11秒台のタイムを出すと、余裕にピットイン。インドネシアの1台は、早々に公式予選を切り上げ、休憩に入った。鈴木は、14秒台前半、13秒台後半を重ね、10周目に12秒835をたたき出し、予選5番手。丸山も13秒台、14秒台と重ねるものの、最終的には13秒820で7番手となった。
公式予選前
6月21日(日)決勝
いよいよ決勝当日となり、2人のライダーは8時45分から行われるウォームアップ走行前にタイヤ交換するかどうかの決断に迫られた。インドネシアは2台ともに前後とも交換したが、他の国は交換していない。結局、鈴木も交換しないことを選択し、丸山が最後まで悩んだ末、前後ともに交換。
午前10時より第1決勝レースが開始された。(15周、15台)
鈴木 丸山
鈴木、丸山ともにトップ集団の中で、周回を重ねていく。インドネシア、中国、日本がグループを形成、しかし、インドネシアの2台が徐々に間隔を広げ始める。3周目に鈴木、鈴木のアナウンスが聞こえた。鈴木の姿が5コーナーで、消えた。転倒し、ほぼ最後尾から再度スタートを切った。丸山は、目前で鈴木の転倒を見たため、順位キープを最優先に考え周回を重ねていたが、予選より1秒も早いタイムに変わっていた。結果、インドネシアの1位、2位、中国3位、4位、5位に丸山、7位まで鈴木は追い上げていた。
12時30分より開会式が行われ、地元レースを含めた全車両、サイドカークラブの車両約20台によるパレードが行われた。
午後1時10分、開会式終了直後に、第2レーススタート(15周:15台)となった。
第1レース同様、インドネシア、中国、日本でトップグループを形成する。インドネシア2台が12秒台前半で逃げ、中国、日本で3位争いが展開される。10周目、鈴木と同じようなところで今度は丸山が転倒しかけるが、なんとか持ちこたえて、走行を継続する。
鈴木は中国の2台と3位争いを展開。7位に順位を落とした丸山は何とか一つでも上を狙い、今までのベストタイム(12秒664)をたたき出し、6位に迫る。
最終周までもつれ込んだ3位争いは、鈴木が1分11秒846で、中国を抜き去り、3位を勝ち取った。丸山は、今一歩及ばず、7位でゴールとなった。
2レースの総合成績により、1位インドネシア、2位中国、3位日本が確定した。
レース結果もさることながら、日本チームライダーは常に他国のライダーの間に溶け込み、国際交流という点でも、多くの大きな成果を上げていた。
次回第2戦は、8月29,30日に日本ラウンドが開催される。(スポーツランドSUGO)
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