MFJ HALL OF FAME -Motorcycle Sports- MFJモーターサイクルスポーツ殿堂

MFJモーターサイクルスポーツ殿堂の
設立にあたって

Motorcycle Federation of Japan Hall of Fame

MFJは1961年10月の創立以来、今日までその歴史を刻んでまいりました。
これもひとえにライダー、チーム関係者の皆様をはじめ、レース会場に足を運んでいただいております多数のファンの皆様、そしてこのスポーツの普及と発展を支えていただいております関連企業、関連団体、関係者各位のご支援、ご尽力の賜物と深く感謝申し上げます。

この間に、数々の名ライダーが時代を築き、日本のみならず世界でも活躍し、多くの世界チャンピオンが誕生いたしました。その功績は、文部科学省からスポーツ功労者として、他のメジャースポーツ選手同様に顕彰されるまでに至りました。

振り返りますと、モーターサイクルスポーツを取り巻く環境は目まぐるしく変化を続けてきました。1970年代のオイルショック、1980年代の二輪車市場の急速な拡大、バブル崩壊以降の景気停滞、リーマンショックや東日本大震災など、モーターサイクルスポーツは社会の変化に大きく影響されてきました。
そのような中でも、常にモーターサイクルスポーツに情熱をもって取り組み、このスポーツの灯を消さないように努力していただいた、先輩たちの活躍や功績に対して感謝し、これからも私達の手でモーターサイクルスポーツを継承・発展させていきたいと思い、『MFJモーターサイクルスポーツ殿堂』を設立することと致しました。

今後とも、皆様のご支援とご協力を宜しくお願い申し上げます。

一般財団法人 日本モーターサイクルスポーツ協会
MFJモーターサイクルスポーツ殿堂評議会

MFJモーターサイクルスポーツ
殿堂概要

目的

  • 日本のモーターサイクルスポーツの歴史を後世に伝える。
  • 輝かしい実績のあった選手・関係者を顕彰する。

役割

  • 過去に功績のあったライダー、関係者等を殿堂入りとして顕彰すること。
  • 殿堂入りの基準を定め、候補者を選抜すること。
  • 過去の競技結果、映像、画像・歴史の収集。
  • 専用ホームページの設置・更新。

組織

MFJモーターサイクルスポーツ殿堂評議会

委員長
大久保 力
副委員長
森脇 南海子
委員
坪内 隆直
委員
隠岐 直廣

MFJモーターサイクルスポーツ
殿堂顕彰者紹介

顕彰対象部門

ライダー部門
各種目で特筆すべき成績を残した選手
功労者部門
モーターサイクルスポーツの普及振興に特筆すべき功績のあった者
技術・指導者部門
チーム監督、技術者等で特筆すべき功績のあった者

2025年12月 殿堂顕彰

日本のロードレース競技は、1960年代の創始期から1990年代の国際レベル飛躍期まで、各時代で内容や発展段階が大きく異なる。 本選考では、その黎明期である創始期に活躍し、国内ロードレースの普及と発展の基礎を築いた人物の功績を評価対象とした。 特に、我が国におけるロードレース競技の発展には、本橋明泰氏と片山義美氏(故)と隅谷守男氏(故)の貢献は特筆に値する 存在となったことを称え、ここに顕彰する。

  • 本橋 明泰
    • ライダー部門
    • Road Race

    本橋 明泰

    Akiyasu Motohashi

    1939年生/東京都出身

    国内初の全日本ロードレース選手権開催に際し、高い技術を評価されヤマハチーム入りを果たす。
    第1回全日本ロードレース選手権のノービス250ccクラスに参戦、予選でポールポジションを獲得。1964年の鈴鹿で開催された日本グランプリにて世界グランプリ初参戦、125ccクラスで6位入賞を果たした。1966年から世界グランプリへ参戦し、日本グランプリ250ccクラス3位のほか好成績でヤマハチームの一翼を担った。
    各国のコース特性に応じたマシンセッティング能力にも優れた点も評価されたライダーである。長期にわたり国内外のレースにおいて常に上位成績を重ね、今日の国内ロードレース界の基盤づくりを牽引した。若手ライダーに対してもコーナリング技術などの走り方を教え、後進育成にも尽力した。

  • 片山 義美
    • ライダー部門
    • Road Race

    片山 義美

    Yoshimi Katayama

    1940年生/兵庫県出身

    我が国のロードレースは1965年に鈴鹿サーキット開設によって本格化したが、それ以前の1961年に埼玉県の米軍基地で開催された全日本ロードレースが国内初の完全舗装路によるレースである。そのレースにおいて片山義美氏はホンダCB305改を駆り、見事優勝したライダーである。
    翌年1962年には吉村秀雄氏(ヨシムラジャパン創業者)らの尽力によって博多・雁ノ巣飛行場でレースが開催され、片山義美氏はこのレースにおいても上位を獲得する活躍を見せた。
    若手育成グループ「木の実レーシング」と名付けた将来のロードレーサーを目指す若手ライダーの育成グループを結成し、走行技術の研究に励みながらヤマハチームで鈴鹿サーキット開設記念大会で優勝を飾った。1966年からスズキで世界GPへ参戦し、1967年の50ccクラスで世界ランキング2位を獲得する活躍を見せた。

  • 隅谷 守男
    • ライダー部門
    • Road Race

    隅谷 守男

    Morio Sumiya

    1944年生/群馬県出身

    1965年に第1回全日本選手権ロードレース大会350ccクラスで優勝し、鈴鹿10時間耐久ロードレースで2位、1968・69・70年の鈴鹿10時間耐久ロードレースでは盟友の菱木哲哉選手とのコンビで3連覇を達成。全日本選手権シリーズでのチャンピオンなど輝かしい成績を残したライダーである。
    当時、不利とされていた4サイクルエンジンを独自に改良し、優れたコーナリング技術を武器に2サイクルエンジン勢に果敢に挑んだ。1972年には日本人で初めて鈴鹿サーキットで2分30秒を破り、マイク・ヘイルウッドの持つコースレコードを破ったことで日本のオートバイロードレース界が新たな段階に入った事を実証し、多くのライダーに希望を与えた。

2024年12月 殿堂顕彰

  • 成田 省造
    • 功労者部門

    成田 省造

    Shozo Narita

    1944年/福島県出身

    一部のモーターサイクル愛好家達が自己流の不整地走破を楽しみ、集い合いからトライアル競技を模倣し始めたのが、日本のトライアル競技を形成する源であり、当時から当競技の魅力を多くのライダーに啓発と自己の競技技量向上に研鑽し、国際級トライアルライダーの地位についたトライアル競技の創始期から活躍したライダーである。プライベートライダーからホンダのトライアル特別講師として斯界の普及に励み、1973年にはホンダTL125でSSDT=スコティッシュ6日間トライアルに万澤 安央氏とともに日本人ライダーが初めて日本車で出場を果たし完走、セカンドクラス入賞。万澤氏の日本での同競技普及プランに参画し、1977年、岩手県で「第一回イーハトーブ2日間トライアル」の開催に協力して日本のトライアル競技の普及急伸の端緒となった。

  • 万澤 安央
    • 功労者部門

    万澤 安央

    Yasuo Manzawa

    1947年/東京都出身

    一般ライダーにも耳新しいトライアルの名称・意味の説明から自分らの行動を知ってもらう努力に傾注する正に斯界の創始期から活躍し、今日への普及に尽力されたファウンダーの代表的ライダーであり、フリージャーナリストとしても幅広い活動で、本邦のトライアル競技の普及に尽力した。 1973年にTL125でSSDT=スコティッシュ6日間トライアルに参戦し、正に百年を超す世界的ビッグイベントの耐え難き苦難と自然との共生が全身に染みこみ「この感動を日本でも!」の具現化は[イーハトーブトライアル]の名称になって、今日まで47年続くトライアル競技イベントの創始者である。 日本及び諸国のトライアル競技は、今や山野の自然地をコースとするものから人工的に障害物を配した屋内屋外での開催など多岐に亘るが、万澤氏が創始のイーハトーブトライアルは、「自然・楽しみ・適宜な試練・誰でも参加できる」ことを重視した内容で、彼が企画主催するイベントはこの内容を基本とし、イベントを通してトライアルの普及を計る斯界の普及は大きな功績である。

2023年12月 殿堂顕彰

  • 新井 理夫
    • 功労者部門

    新井 理夫

    Michio Arai

    1938年/東京都出身

    戦後のモーターサイクルブームに伴い、健全なライダー育成に情熱を燃やす酒井文人の応援に大きな力を発揮した父親の跡を継ぎ、モーターサイクル、後に四輪レースのヘルメット制作に尽力し、戦前からの帽子、工業用ヘルメットの家業を世界的名声のヘルメットに昇華させた。また、ヘルメットのみならずモーターサイクル用品部品業界の組織化をリードし、モーターサイクル界の発展に寄与した。2019(令和元)年、国際モーターサイクリズム連盟(FIM)より、多くのライダーの安全に寄与し多大な貢献を果たしたとして、2輪用装具メーカーとしては史上初のゴールドメダル「ニコラス・ロディル・デル・バレ・ゴールドメダル」を受賞。

  • 酒井 文人
    • 功労者部門

    酒井 文人

    Fumito Sakai

    1924年/長野県出身

    二輪車専門誌に従事、後に代表を務め、モーターサイクルの健全な楽しみ方を目標とする愛好者クラブの組織化を行い、1958(昭和33)年にアマチュアライダーが参加出来る初めてのロードレース「第一回全日本モーターサイクルクラブマンレース」の開催を挙行。今日のモーターサイクルスポーツの土台作りを務めた。

  • 西山 秀一
    • 功労者部門

    西山 秀一

    Shuichi Nishiyama

    1918年/東京都出身

    アマチュアライダーのモーターサイクルスポーツ普及に尽力する酒井の活動に共鳴、酒井の思想具現化に生涯を投じ、現在のアマチュアモーターサイクルスポーツの堅固な体制作りに尽力した。

  • 石塚 秀男
    • 功労者部門

    石塚 秀男

    Hideo Ishizuka

    1908年/東京都出身

    敗戦の痛手をうけたモーターサイクル産業の復興を目標に日本初のロードレースを開催。日本自動車整備振興会連合会会長始め、二輪自動車、四輪軽自動車業界の振興に尽力。1961(昭和36)年に日本モーターサイクルレース協会(当時/MFJ)設立、その後1998(平成11)年まで会長職を務めた。1980(昭和55)年、勲二等瑞宝賞受賞。1991(平成3)年、MFJの文部省(当時)所管 財団法人認可を推進。1992(平成4)年、国際モーターサイクリズム連盟(FIM)より、FIMと国内外への貢献が評価されFIMモーターサイクルメリット・ゴールドメダルを受賞。

2022年度12月 殿堂顕彰

  • 藤井 璋美
    • 功労者部門

    藤井 璋美

    Teruyoshi Fujii

    1929年/東京都出身

    1950年代からライダーとして活躍し、ライダー引退後は「テクニカルスポーツ」を設立、数々の優れたライダーを輩出するとともに、レース運営にも携わり、鈴鹿サンデーロードレース、鈴鹿8時間耐久レース等の創世記に大きく貢献した。また、MFJロードレース委員長を長きにわたり務め、競技の普及振興に寄与した。

2021年度12月 殿堂顕彰

  • 久保 和夫
    • ライダー部門
    • Motocross

    久保 和夫

    Kazuo Kubo

    1939年/東京都出身

    スズキファクトリーライダーとして、1964年第1回モトクロス日本グランプリにおいて125ccクラス、250ccクラスのダブルタイトルを獲得。翌65年には日本人として初めてモトクロス世界選手権に出場し、その道を切り開いた。その後は、チューナーとしても活動の場を広げ、「チームSRSクボ」を率いて多くのライダーを育成するなど競技の普及振興に寄与した。

  • 鈴木 忠男
    • ライダー部門
    • Motocross

    鈴木 忠男

    Tadao Suzuki

    1945年/東京都出身

    ヤマハのファクトリーライダーとして、1969年の全日本モトクロス250ccクラスでチャンピオンを獲得した。その後、「SP忠男レーシング」を設立し、多くのロードレースライダーを育成し世界トップレベルの選手を数多く輩出するなど競技の普及振興に寄与した。

  • 山本 隆
    • ライダー部門
    • Motocross

    山本 隆

    Takashi Yamamoto

    1943年/兵庫県出身

    カワサキファクトリーライダーとして、全日本モトクロス選手権においては、1967年に90ccと250cc、1968年に250cc、続く1969年は再び90ccにて、計4度のチャンピオンを獲得した。その後はトライアル競技に転向し、引退後は長きにわたりMFJトライアル委員長を務め、競技の普及振興に寄与した。

  • 吉村 太一
    • ライダー部門
    • Motocross

    吉村 太一

    Taichi Yoshimura

    1946年/大阪府出身

    スズキファクトリーライダーとして、1967年に全日本モトクロス125ccクラスでチャンピオン獲得、1970年には125ccと250ccのダブルタイトルを獲得した。その後、ホンダファクトリーライダーとしても活躍。「マウンテンライダース」を率いて多くの若手ライダーを育成し、全日本チャンピオンも数多く輩出した。さらに「アールエスタイチ」を設立し、数多くのライダーをサポートしレース活動を支援するなど競技の普及振興にも寄与した。

2019年度12月 殿堂顕彰

  • 本田 宗一郎
    • 功労者部門

    本田 宗一郎

    Souichiro Honda

    1906年/静岡県出身

    1959年日本メーカーとして初めてFIMロードレース世界選手権マン島TTレースに挑戦、1966年には全クラス制覇の偉業を達成した。
    また、1962年国内初の本格的国際サーキットである鈴鹿サーキットを造り、1963年に世界選手権GPを誘致し国内モーターサイクルスポーツを飛躍的に発展させた。

  • 吉村 秀雄
    • 技術・指導者部門

    吉村 秀雄

    Hideo Yoshimura

    1922年/福岡県出身

    日本のモーターサイクルスポーツ黎明期からエンジン始めマシンのチューニングに取組み、日本のみならず海外のレースで活躍。その研究・開発から得た知識、技術を広く開示し、後進の技術力向上に努め、日本におけるレーシングコンストラクターの地位を確立し、多くのコンストラクター・チューナーを育成した。

2018年度12月 殿堂顕彰

  • 伊藤 光夫
    • ライダー部門
    • Road Race

    伊藤 光夫

    Mitsuo Itoh

    1937年/静岡県出身

    1963年、当時の世界最高峰レースと謳われていたマン島T.T.レースの50ccクラスで、日本人初の優勝を飾る。その後も数々の世界GPで活躍し、1967年の日本GPでも50ccクラスで優勝を飾っている。引退後はMFJの各種委員を歴任し、後進の指導などにも大きな功績を残した。

  • 高橋 国光
    • ライダー部門
    • Road Race

    高橋 国光

    Kunimitsu Takahashi

    1940年/東京都出身

    1958年のレースデビュー以来、天才少年として評価を高め、1960年から世界GPに参戦を開始。翌1961年の西ドイツGP、GP250ccクラスで日本人初となる優勝を飾る。その後、4輪レースへと転向し、国内外のレースで活躍。引退後は自らのレーシングチームを率いて活躍した。

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